回顧録:アップル入社

1990年7月にアップルに入社しました。

40歳の時です。

マーケティングの責任者で就任しました。

実は、今だから言えることですが、インテルに入社が決まっていたのをお断りし、最も危ない外資系会社の代表的企業という社会的認知のアップルに入社しました。しかも、成功を収めたインテルの競合相手です。

インテルのサンタクララの本社役員との面接も終わり、最も成功した会社の代表的企業インテルに入社を決めたのですが、何となく物足りなさを感じました。

一方、お誘いを頂いたアップルは、当時、デザイナー・フォトグラファー・ミュージシャン、、等々マニアックな人以外誰も知らない会社でした。ユーザーイメージはジーンズと鼻ひげです。

成功した安定企業より、危なっかしいけど何か未知の可能性に魅力を感じアップルを選びました。

こんな危険な選択が出来たのは、「若さ」だったと思います。

入社直後の仕事は、マッキントッシュで初めて20万円を切るマッキントッシュクラシックの発売開始でした。

10月の発売イベントに向け、7月に早速ジャネットジャクソンのコンサートツアーイベントを企画し、ロスのユニバーサルスタジオを訪ね、ジャネットの弁護士、マネージャー、そしてジャネット本人と会い、日本ツアー6っか所の契約をしました。

3億5千万の予算を確保し、一気に誰も知らないアップルを皆が知ってる会社に変えました。

会社のシステムも組織も確立していない会社だからこそ、こんな多額の予算で大胆なことが出来たのです。


アップル本社から当時のマッキントッシュポータブルを持参し、ジャネットとの対談ビデオのカメラの前でそれを渡しました。

ジャネットに渡した瞬間「IT's heavy !」と言って重くて受け止められませんでした。

そのビデオを開発部門に見せ、PB100という携帯ノートブックの実現に繋がりました。


コンサートツアーは大成功をおさめ、それから毎年売り上げ倍増の急成長が始まりました。


私は、マーケティングのスタッフは競合パソコンメーカーからは一切採用しませんでした。

ホリデーイン北京のマネージャー、南米であわびの養殖をしていた日本人、等々とんでもない異色人財集団でマーケティングのチャレンジをしたのです。他社との差別化の為にはパソコン業界の経験と知識がイノベーションの障壁になるからです。

それからは、本当に楽しいマーケティングのチャレンジと業績向上を収めました。

続き。