Apple日本法人社長に就任

1997年2月、アップルジャパンの社長に就任した。

米国本社役員からの突然の指名だった。

日本は、最悪の経営危機に直面していた。


戦略方針を打ち出し、それに基づく組織モデルを発表し、ジョブポスティングで全ての経営陣を入れ替えた。その後希望退職プログラムで社員数を半分に削減し事業生産性を上げた。

そして、販売店の変革を強力に推し進めた。

一次卸店40社を4社にし、アップル商品を販売してきた3000店舗の中でヒット商品iMacを扱う店舗は100店舗だけ認定した。販売店マージンも四分の一に下げ、在庫回転をそれまでの3~4回転を50回転に上げた。

不良在庫を一掃する、一週間分の店舗在庫の売れた分だけ補充する方式に変えた。

これは、顧客接点に経営資源を再配分するための施策だ。

現在の量販店内のアップル販売コーナー(ストアー・イン・ストアー)やアップルストアー、アップルテレセールス、アップルWEBストアーが生まれたのもこの販売チャンネル変革の一環であった。


7月にスティーブ・ジョブスが暫定CEOに就任したのが、アップルの歴史を変え、今日のアップルの実現の大きな始動であった。

ジョブスとの1:1の会話の一つを紹介する。

「OS戦争では完全にマイクロソフトに負けた。従って、PCを必要とする顧客に売るのではなく、PCは自分に縁がないと思っている潜在顧客を掘り起こそう。」と云う議論で生まれたのがiMacの大ヒットだった。

「かわいい、使い方が簡単、お手頃な価格」と云うシンプルな戦略で、キャンディーの5色を筐体デザインに採用した。

その後のiPodとiTunes Musicは音楽事業モデルとその競合モデルを大きく変えた。

デジタル化の波の一つは「新規参入者がそれまでのモノポリー支配のビジネスモデルを変える」であり、その象徴的事例であった。


私は、1992年に「アップルがコンピューター会社でなくなる日」と云うアップルの将来を語るビデオを作成し販売店会で紹介した。まさにiPodの誕生でそれが始まったのだ。


更にその後のiPad・iPhoneの誕生は、それまでのアップルのビジネスモデルを一変させた「プラットフォームビジネスとリカーリングビジネスの」大成功をもたらした。

イノベーションとビジネスプロデューサー力のバランスを確立し、新生アップルが誕生したのだ。